月曜日, 9月 01, 2014

『ぐるりおーざ どーみの』

どのような宗教的布教や実践にも音楽的要素はかならず存在するようです。古代の文字がない時代には、ひとびとのこころや精神に直接響く音楽的な要素が不可欠だったことでしょう。

16 世紀、日本に始めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、もちろん日本語の読み書きは自由ではなかったはずですから、当然聖歌をまず教えることで 最大の伝道的効果をあげようとしたはずです。そして彼の生まれ故郷である北部スペインで当時歌われていたグレゴリア聖歌を日本人教徒たちに教えたので しょう。

その後キリスト教が禁止され、隠れキリシタンになったわずかな数の人たちが密かに数百年にわたってその聖歌を現代にまで代々伝えてきたという事実を知って驚きました。しかもその原曲の「O Gloriosa Domina」は当地ではもう歌われていない”失われた聖歌”だというのです。

そのことについて、JUMP(平和省プロジェクト)のメンバーである漫画家の西岡由香さんが最近平戸を訪れ、このことを掘り起こしたときの感動を以下のように伝えてくれました。


平戸、ザビエル教会のザビエル(関一郎音楽日誌より)

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みなさま

こんにちは。
この感動と衝撃をどう伝えたら良いのでしょう・・
一昨日、平戸に演奏会を聴きに行ってきました。
今も平戸におられる隠れキリシタンの方々が、「唄オラショ」といわれる
祈り唄を、特別編成の合唱団が、その原曲であるグレゴリオ聖歌を、
同時に歌うという初のこころみ。これは行くしかない、と片道3時間半
かけての一泊旅行でした。

1550年、ザビエルがキリスト教を伝えた平戸島では、多くの島民がキリシタンに
なり、特に隣の生月(いきつき)島では全島民が入信します。禁教令下で領主が
亡命したり、多くの殉教者をだしながら人々は潜伏して信仰を伝え続けました。
明治になり、ようやく禁教令の高札は撤去されます。一人の宣教師もいない
約270年の間に、キリスト教は神道や仏教が入り混じった土俗的なものに
変容していましたが、生月ではカトリックに戻らず、先祖代々の信仰を
そのまま受け継いでいる「隠れキリシタン」と呼ばれる人々が現存します。

「オラショ」と呼ばれるラテン語の祈りは、紙に書くと見つかったとき
申し開きができないので全て口伝で伝えられました。学べるのは「悲しみ節」と
呼ばれる四旬節の46日間のあいだだけ。覚えられなければ翌年に持ちこし。
すべて唱えるのに40分かかるものだったそうです。
オラショには唄もありました。「らおだて」「なじょう」「ぐるりょーざ」と
呼ばれるものです。
かつて音楽評論家の皆川達夫さんが生月を訪れたとき、この唄オラショに
衝撃を受けたそうです。「どこかに元の唄があるに違いない」。執念をかけた
皆川さんはヨーロッパを訪ね歩き、7年かかって「ぐるりょーざ」の原曲
「オ グルリョーザ(はえある聖母よ)」をさがしあてました。
それは1500年代、イベリア半島のいち地方で歌われていた聖歌でした。
その後歌われなくなり、グレゴリオ聖歌集からも消えていた「失われた聖歌」
だったのです。
おそらく、その地方出身の宣教師が450年前に生月の人々に伝えた歌が、
生月の隠れキリシタンによって歌いつがれていたのでした。
驚いたローマのヴァチカンによって調査が行われ、その成果が確かに存在して
いたことが確認されました。

説明が長くなりましたが、一昨日、平戸でこの唄の指揮をしたのは、
ひいおばあちゃんが生月出身という、女性指揮者の西本智美さん。
青い着物で正装した、生月の隠れキリシタンの男性5人が、歌う、というより
吟じはじめました。
ぐるりよーざ  どーみの  いきせんさ  すんでら  しーでら
同時に始まった、合唱団のさざ波のような歌。
グロリオーザ  ドミナ  エクセルサ  スーペラ  シーデラ

仰天しました。両者のメロディがほとんど同じだった・・!!
口伝で、暗記して、この繊細な中世ヨーロッパの聖歌を、450年こうして
伝えつづけられるものなのか・・これが人の力か。これが人間の力なのか。
水をうったように静まり返った会場。私はこの日、奇蹟の証人になって
しまいました。
島の館、オラショ等唱える部屋(関一郎音楽日誌より)


この歌を口ずさんだ宣教師の名前も、歌も、ヨーロッパでは忘れられていた
けれど、波濤を越えた島国の人々は、忘れなかった。
宣教師の敬慕の念とともに伝え続けた。
弾圧に耐え、やがて訪れる信仰の自由を待ち続けた人々の声が、重なり合う
メロディの向こうから聞こえた気がしました。
「パードレ、わしら、守りぬきましたばい」。

西岡由香

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由香さんの生き生きとした文章から「ぐるりおーざ・・・」の静かな唄声が聴こえてくるようです。

この九州平戸の生月に奇跡的に生き残った中世グルゴリオ聖歌について興味が湧き少し調べていたら、尺八の故横山勝也師の門下である関一郎氏のサイトに 出会いました。そこにも 「オ グロリオーザ ドミナ」との体験が、”歌オラショ「ぐるりおざ」とグレゴリオ聖歌「O Gloriosa Domina」そして「フランシスコ ザビエル」への旅”というタイトルの日誌として掲載されています。音楽家としての分析的なコメントがあるのでとても 興味深い内容です。

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